卑近に感じるかもしれませんが、この歌詞に心を動かされないわけにはいきませんでした。日本の地震が起こる前に書かれた曲だけに余計です。 Raymond Carvarの作品をもじれば、Benjamin Gilbertの歌詞はいつだって悲痛な状況、ネガティヴな状況から「ささやかだけれど、役にたつこと」を見つけるものだった気がします。そうした歌詞がいまのぼくらに響くのは少し悲しいと思いつつ、当然だと認めなくてはいけないのでしょう。 アメリカ社会の頂点に位置してきたキリスト教を弱き存在として定義しなおす歌詞も『Codes and Keys』では目立ちます。たとえば「僕らが向かったのは嘘で築かれたような場所だった。聖書のように神聖で、疑問をはさむ気も起きなかった(Potable Television)」や「聖ペテロ大聖堂は花崗岩でできているけど、いつも答えを恐れていた(St.Peter's Cathedral) 」など。 かつて「What Sarah Said」という曲で「愛とは誰かが死ぬのを見届けること」という定義を作ったことでもわかるとおり、Benjamin Gilbertの歌詞は死についての考察を含んでいます。そして、アメリカ人の死生観へ多大な影響を与えるキリスト教との向き合いかたというテーマも作品ごとに強くなっている気がします。これもアメリカを代表するバンドになったことの影響かもしれません。
90年代初頭のインディロックーたとえばDinasour.JR,Pavement,Teenage Funclub,Yo la tengoーからの影響をまったく隠さないこのバンドは、それと同時に他のバンドたちから超越したところに存在しているように感じます。濁りのない非常に透明な存在。そうした意味で、YUCKの音楽からはスーパーカーの『スリーアウトチェンジ』というアルバムを想起します。 『スリーアウトチェンジ』もJesus and Mary Chainを筆頭に他のバンドからの影響を隠さなかったにもかかわらず、超越した世界を持った、オリジナルな魅力を放つ作品でした。この2作品の透明さには、胸のうずきや心の揺らぎをありのままに受け入れたままで、それでも素敵な物語を描こうとしている人間の心を軽くしてくれる。そんな作用がある気がします。それゆえに、この2作品は胸のうずきや心の揺らぎに満ちた10代の人々の心に強く響くのでしょう。Billy Corganが「1979」の中で描いた、「千の罪の国に引き寄せられる」10代の心に。