I was only joking訳したりとか

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アンドロイド演劇『変身』 16:14
 
   
   平田オリザ演出のアンドロイド演劇『変身』を観た。
 フランツ・カフカの有名不条理小説の「朝起きたら毒虫に変わっていた」を、「朝起きたらアンドロイドに変わっていた」に置き換え、演劇化した作品。舞台となる再築された早稲田小劇場どらま館に入ると、早速白い顔のアンドロイドがベッドに寝そべっている。顔以外は内部構造がむき出しになっている彼は、小さく揺れ動きながら上演を待っている。
舞台となる場所時代も原作とは違い、2040年のフランスが舞台だ。どうやら国全体の経済は芳しくなく、なぜ始まったかもわからない戦争に人々が駆り出され、移民問題は依然として大きな問題となっている。そんなフランスの近未来のなかで、両親と妹と同居している会社員グレゴワール・ザムザは目覚めると自分の体が機械になっていることに気づく。しかも足が動かなくて、働くこともできない。家族は最初、タチの悪い冗談かと思うが、そのうちに現実に起こったことだと認めざるを得なくなる。

 平田オリザ演出の舞台を観るでこれで3回目、その他戯曲も何冊か読んでいるが、彼のテーマは常に一貫している。言い換えれば、同じことばかりを問題にしている。戦争と貧困と人種問題、この3つがワンセットになった世界の出口なしの感覚。平田演劇は常にこれだ。常に同じなのは、作品だけでなく、作品を観たあとに残る感じも同じだ。これはおかしい。同じことを観ていれば飽きてくるのが普通じゃないのか。なのに、毎回なぜ、とてつもない何かに触れたような感触が残るのだろう。

 『二人のヴェロニカ』で有名な母役イレーヌ・ジャコブの椅子の蹴り方には驚いた。椅子が完全に垂直に跳ね上がる、あの蹴り方で抱える怒りの行き場のなさがはっきりと視覚化されている。父役のジェローム・キロシャーの、グレゴワールのベッドの横に置いてある植物の鉢に水をやる姿の痛々しいペーソスも素晴らしい。アンドロイドの目の見開き方、腕の上げ方はその存在の儚さを見事に証明する。役者たちの演技、一つ一つが私たちの目を奪う。平田作品に触れた時に感じる「とてつもないなにか」は、目の前で生身の存在が演技をしていることそのものへの、驚きや喜びに由来するのではないか。
このことは、平田の戯曲『南へ』でも引用され、今作では最後に強烈な効果を導き出す宮沢賢治の詩、『月天子』がなによりも雄弁に物語っている。

私はこどものときから
いろいろな雑誌や新聞で
幾つもの月の写真を見た
その表面はでこぼこの火口で覆はれ
またそこに日が射していゐるのもはっきり見た
後そこがたいへんつめたいこと
空気がないことなども習った
また私は三度かそれの蝕を見た
地球の影がそこに映って
滑り去るのをはっきり見た
次にはそれがたぶんは地球をはなれたもので
最後に稲作の気候のことで知り合ひになった
盛岡測候所の私の友だちは
――ミリ径の小さな望遠鏡で
その天体を見せてくれた
亦その軌道や運動が
簡単な公式に従ふことを教へてくれた
しかもおゝ
わたくしがその天体を月天子と称しうやまふことに
遂に何等の障りもない
もしそれ人とは人のからだのことであると
さういふならば誤りであるやうに
さりとて人は
からだと心であるといふならば
これも誤りであるやうに
さりとて人は心であるといふならば
また誤りであるやうに
しかればわたくしが月を月天子と称するとも
これは単なる擬人でない


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