I was only joking訳したりとか

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Benjamin Gilbertの、そしてぼくらの「ささやかだけれど役にたつこと」 Death Cab for Cutie 「Code and Keys」 12:43
 
 
 Death Cab for Cutieは一介のインディバンドから全米一位のバンドへと活動の中で知名度を広げていきました。その全米一位となった前作『Narrow Stairs』から3年、新作『Codes and Keys』がぼくらのもとに届きました。

 全米で広く知られるバンドになることは、音楽的にも影響を与えます。
『Narrow Stairs』は、それまでアメリカのバンドの中でもイギリスの音楽、ニューウェーブやブリッドポップ期の音楽の香りを感じさせていたデスキャブが、ぐっと広大な大地を思わせるアメリカンロックへと近づいた作品でした。音も大きなライヴ会場が似合う音づくりになっていました。そこにはビッグなアメリカンバンドとしての期待がのしかかってたように感じます。
 完成度の高い作品ではあるものの、窮屈な、「narrow」な印象を受けてしまったのも事実です。

 今回のアルバムで、前作の方向性からどこへ向かっていくのか、気になっていました。
 聴いてみると、一曲目はかつてのpotal serviceを思い起こさせる打ち込みの音。そこに加わる少し不穏なコード進行。そのあとにはオーケストラを活用した古き良きアメリカンミュージック(二曲目)やAnimal Collectiveのようなリズムのポップ(三曲目)、Fleet Foxesを思い出させるフォーク(八曲目)などが並びます。勘のよい方は気づくかも知れませんですが、今回のアルバムはここ二,三年のアメリカのインディミュージックを踏まえた曲が多いのです。オーケストラルなアメリカンミュージックはSufjan Stevensが作った音楽とリンクしますし、Postal Service的な打ち込みも自己言及に見えてPassion Pitなどのポスタルフォロワーからの逆影響を感じさせます。
 他のバンドからの参照点が顔を見せたのは、結果的に成功だったように感じます。アンテナの張り方が上手く、受信した情報の扱いにも長ける彼らは他の音楽からの影響を自らの音楽の活性化へとつなげました。「デスキャブといったらこういう音楽」というリスナーのイメージの縛りから自由を取り戻したような爽やかさが、『Codes and Keys』には流れています。まるで、狭い場所から抜け出すための「暗号と鍵」を手に入れたかのように。

 それでいて、彼らはデスキャブのイメージを裏切っていません。デスキャブ印と言えるような特徴は消えていないのです。それはBenjamin Gilbertの声やメロディの癖やドラム・ベースのリズム隊を中心としたパワフルかつ安定した演奏に裏付けされているのでしょう(animal collective風だといった三曲目「some boys」のドラムのカッコよさたるや・・・!)。全曲にわたってポップミュージックとして最低限の展開しか与えていないこと(今回のアルバム曲はすべて、コード進行のパターンを2つに絞って構成されています)などもデスキャブの曲の特徴でしょう。Raymond CarverやScott Fitzgerald、村上春樹を思い出させる歌詞の世界も大きな個性です。

 やはり歌詞に触れたくなるのは一曲目の歌詞です。なんといってもこの曲の歌詞は大地震についての歌なのですから。引用してみます。

「プレートは移動し、家は揺れて、壁は流れていく。
昨日とまったく同じものなどないということに気づくためだけに、ぼくらは目を覚ますだろう」

 卑近に感じるかもしれませんが、この歌詞に心を動かされないわけにはいきませんでした。日本の地震が起こる前に書かれた曲だけに余計です。
 Raymond Carvarの作品をもじれば、Benjamin Gilbertの歌詞はいつだって悲痛な状況、ネガティヴな状況から「ささやかだけれど、役にたつこと」を見つけるものだった気がします。そうした歌詞がいまのぼくらに響くのは少し悲しいと思いつつ、当然だと認めなくてはいけないのでしょう。
 アメリカ社会の頂点に位置してきたキリスト教を弱き存在として定義しなおす歌詞も『Codes and Keys』では目立ちます。たとえば「僕らが向かったのは嘘で築かれたような場所だった。聖書のように神聖で、疑問をはさむ気も起きなかった(Potable Television)」や「聖ペテロ大聖堂は花崗岩でできているけど、いつも答えを恐れていた(St.Peter's Cathedral) 」など。
 かつて「What Sarah Said」という曲で「愛とは誰かが死ぬのを見届けること」という定義を作ったことでもわかるとおり、Benjamin Gilbertの歌詞は死についての考察を含んでいます。そして、アメリカ人の死生観へ多大な影響を与えるキリスト教との向き合いかたというテーマも作品ごとに強くなっている気がします。これもアメリカを代表するバンドになったことの影響かもしれません。

重厚なテーマを持ちながら、最後の「Stay Young,Go Dancing」で音楽の素晴らしさについて歌うのは、あまりにも出来すぎだと思いながらも、目から塩っからい液体がこぼれそうになるのを禁じえません。最後にこの曲の歌詞をすべて引用して、終わりにします。

「獣のおなかの中なら、人生は甘い。人生は甘い。
君の心の中の彼女の歌は、君を決して落ち込ましたりしない。落ち込ませたりしない。
雨の中で1000日間さまよい続けても、彼女の歌が聞こえたら終わりへとたどり着ける。終わりへとたどり着ける。

だって彼女が歌っているのを聴いてたら、シンフォニーが聞こえるんだ。
ぼくはその音が響くままに飲み込まれていく。
その時どれだけ生きていることを感じて、心を動かされただろう。
秋が過ぎてもぼくらは若いままで、踊りに出かける。

音楽が始まったら体の感覚なんて飛んでってしまえばいい。
音楽の中で一つになっているとき、ぼくらはいつだって若い
(さぁ、踊ろう)

彼女が歌っているのを聴いてたら、シンフォニーが聞こえるんだ。
ぼくはその音が響くままに飲み込まれていく。
その時どれだけ生きていることを感じて、心を動かされただろう。
冬が過ぎてもぼくらは若いままで、踊りに出かける。」



 
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