I was only joking訳したりとか

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2010~2014年のベストソング30追記と日本のベストソング20 22:09
この前の記事(http://tachesong.jugem.jp/?eid=60)についてちょっとしたコメント。というか一曲もコメントしてなかったし。
とはいえいちいち説明するので面倒くさいので1位の曲だけ。
Los Campesinos!、1stの頃はとても魅力的だけど一発屋っぽい青春バンドだったはず。
アイデア一発勝負で演奏力も曲のヴァラエティもなかったし。
それが現在に至るまで活動し続けて、しかも全てのアルバムが魅力的で良くないアルバムがないという奇跡的な状況なわけです。
特に3rdの『Hello Sadness』でグッと深みが出たように思います。
個人的にはこれが最高傑作。
その中でも一番好きなのがタイトル曲の『Hello Sadness』。
最初は『The Black Bird,The Dark Slope』という激エモい曲に一番惹かれたんですけど
11年の来日公演で『Hello Sadness』の良さに気づいてそれ以降この曲の魅力にズブズブはまっていきました。

この曲の魅力として、冒頭の爽やかな雰囲気が次第に切迫感を増してやがて感動的なラストへと向かっていくその展開がまず上げられます。
これが6分以上の長い曲だったら白けそうなものだけど、4分台前半で収めているところがすごい。
そして歌詞。
僕は以前からロスキャンの歌詞はとても優れていると思っていて、リリックのアイディアの豊かさに驚嘆するし、ミゼラブルだけどユーモラスなストーリーに心奪われます。
センスはモリッシーに近いところがあって、そこにヒップホップ的な言葉遊びを加えたような感じ、といえば伝わるでしょうか。
とりあえず『Hello Sadness』の歌詞対訳を読んでいただけたらと思います→http://tachesong.jugem.jp/?eid=62

・・・いかがでしょう、この比喩やメタファーが多すぎてなにを言ってるのか解らなくなる感じ。でも、これで全部わかったらつまらないですよね。
先ほどモリッシーの名を挙げましたが、僕はこの曲にThe Smiths永遠の名曲『There Is A Light That Never Goes Out』と同じポエジーを感じます。特に何度も繰り返されるこのコーラス。


it's only hope that springs eternal
and that's the reason why
this dripping from my broken heart
is never running dry

それは永遠を飛び越えられるかもしれない唯一の希望
だからなのさ
ぼくの壊れた心からこぼれた雫は
決して乾いたりしないんだ


何故永遠を飛びこえることが希望なのか、
なぜだから心から雫が溢れ続けるのか。
そういった疑問に答えられなくても、
ここに全てがあることが、「決して消えようとしない光が」あることが伝わってきます。
springs,reason,dripping,from,broken,running,dryと「r音」が何度も重ねられてることにも注意を向けてください。
この「r音」の連射と「hope,from,broken」「eternal,heart」「why,dry」 といったように的確に踏まれていく音韻によって最強の語感が生まれます。
また曲の前半ではこのコーラスは
F→G(主音Cに大して4度→5度)の繰り返しのコードに乗っかって歌われますが
後半ではF→Em→Dm→C→Am→G→F→Amというよりドラマティックなコード進行の上で違うメロディで歌われます。
同じリリックに違うコード、違うメロディを乗せることで言葉の表情に奥行きが出ます。
結局このリリックに希望があるかないのかは判断できないのだけど、
その判断できなさこそが僕たちの生そのものだと思うし、そこがこの曲のリアルでワンダフルなところだと思います。

プロモも秀逸ですよね、プロモ付きで観るとよりグッとくること間違いなしです。


ランキング全体を観て自分で驚いたのは女性アーティストが一つも入ってないことですね。
PJ HarveyもNeneh CherryもSavagesも候補に入れてたのに結局外してしまった。
Warpaintなんかはすごい好きだったのに候補に入れることすら忘れていた。
女性の歌も聴いてるつもりなんですが、結局男の曲が好きなのか。これは何なんだろう。

あと、2010〜2014年の日本の曲のベスト20も考えてみました。

20.Asisn Kung-fu Generation feat.橋本絵莉子/Alright Part 2

19.ザ・なつやすみバンド/自転車

18.シャムキャッツ/Afterhours

17.七尾旅人/サーカスナイト

16.Jazz Dommunisters feat. Maria,OMSB,Ai Ichikawa/Food

15.Cezcho No Republic/Call Her

14.Lillies And Remains/Human Intellect #2

13.Simi Lab/Natural Born

12.Cali≠Gari/娑婆乱打

11.Wearer/Survive

10.The Mirraz/君の料理(レシピNo,2027)

9.田我流 feat.ECD/Straight From 138

8.土井玄臣/ダークナイト

7.Ogre You Asshole/100年後

6.環ROY/Happy Birthday

5.坂本慎太郎/義務のように

4.ミツメ/怪物

3.The Novembers/Misstopia



2.Andymori/1984



1.Andymori/Weapons Of Mass Destruction

『Weapons Of Mass Destruction』のいい映像がないのが残念。この曲がダントツですき。どの洋楽よりも好き。

ちなみに本家Pitchforkのランキングで1位に選ばれたGrimes/Oblivionの対訳も作りましたのでそちらも是非→ http://tachesong.jugem.jp/?eid=61

 
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2010~2014年のベストソング30選びました 23:47
ピッチフォークがこんなこと(→http://pitchfork.com/features/staff-lists/9466-the-top-200-tracks-of-2010-2014/)やったので便乗です。
200は無茶なので30で。いろんなこと思い出しますね。


30.Steve Lehman Octet/Glass Enclosure Trascription

29.Stars/Hold On When You Get Love And Let It Go When You Give It

28.Minks/Funeral Song

27.Telebossa/Seculo Do Progresso

26,Yuck/Operation

25.How To Dress Well/Say It Right

24.Kindness/House

23.Death Cab For Cutie/Some Boys

22.Blood Orange/You’re Not Good Enough

21.Fleet Foxes/Helplessness Blues

20.Kanye West/Black Skinhead

19.Robert Glasper Experiment/Why Do We Try

18.Mystery Jets/Lady Grey

17.Merchandise/In Nightmare Room


16.Deerhunter/Monomania

15.Foals/Blue Blood

14.Kendric Lamer/Swimming Pool

13.Ducktails/Planet Phrom

12.Vampire Weekend/White Sky

11.Jon Wayne/You Can Love Me When I’m Dead

10.The National/Bloodbuzz Ohio

9.Cold Cave/The Great Pan Is Dead

8.Beach Fossils/Crashed Out


7.Letting Up Despite Great Faults/Details Of My World

6.Andy Stott/Numb


5.Death Grips/Guillotine

4.Cloud Nothing/Stay Useless

3.Deerhunter/He Would Have Laughed



2.Iceage/You're Nothing



1.Los Campesinos!/Hello Sadness



順位は結構適当です(即席で考えたのであとで変えるかも)。1〜4位は名曲確定だと思います。
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Steve Lehman OctetのMise En Abîme、すごくいいです 19:39
兎にも角にもSteve Lehman OctetのMise En Abîmeがかっこいいので聴いてほしいというそれだけなんですが。


ニューヨークブルックリンで活動しているアルトサックス奏者Steve Lehman。8人組でのアルバムは2009年に発表された『Travail, Transformation and Flow』に次いで二枚目となるこれ。
ジャズってだいたいゆったり聴かないとわからないから視聴機で聴いて買うことって滅多にないんだけど、アルトのソロに次いでバンドが入ってきた瞬間に「これはヤバヤバいのではないか・・・」と思い即購入。思い違いだったら嫌だななんて思いながら家で聴いたら最高すぎてここ数日何度もリピートしてる。

フリージャズを彷彿とさせるようなカオスがあるのに余剰感がない。ひたすたクール。だけど熱はある。COOLがHOTになってる。
編成的に特徴的なのはピアノがいないこと、その代わりにヴィブラフォン奏者がいることで、このヴィブラフォンの音にガムランのようなどこか東洋的な響きがあって、曲になんともいえない浮遊感を与えている。
複雑なリズムだし不穏なコード感も簡単には出せなそうだし知的水準はかなり高そうなんだけど、インテリ臭さがなくてそれ以上んに獰猛な勢いが伝わってくる。

聴いてて特に思うのは10代くらいの若い男の子、満たされない思いを抱えながらLowerやCloud Nothingsを聴いてる若い子に聴いてほしいなってこと。リズムのむちゃくちゃな勢いと全体に漲る緊張感は世界との軋轢に耳や心を尖らせている若者に一番ぴったりくると思うから。ここからマイルスの名盤中の名盤『Nefertiti』の冷たいカオスや、後期Duke Elingtonのエキゾ感にジャンプできると思うけど、そういうのは後回しにして兎に角自分の部屋や友達の部屋やクラブでかけて踊り狂ってほしいよ。Stranger Than Paradiseの主人公のようなイメージで。

本人のHPから視聴できます→http://www.stevelehman.com/music

これレコードで出ないのかな。
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(今さら☆)Iceage/New Brigade 23:27


 ライヴも見たことだし、Iceageのアルバムについて書きますン〜。ちょっとタイミング遅いですが。


「交わる平行線/後ろへ落ちて行きたくない/立ち向かうにはあまりにひどすぎ/空っぽの穴へ駆け下りない限り/
新しい旅団/決して消えない/増えてまた増えて/決して終わらない/
それは僕の中に/君の中に/僕と君の中に」-New Brigade


 昨年、Iceageは世に星の数ほどいるであろうハードコアバンドの中で頭ひとつ飛び出しました。
彼らのサウンドの特徴としてまず挙げられるのは耳につく、つんざくような鋭いギターの音です。
Minor ThreatやBlack flag,Dischargeなど、ハードコアの雛形を作ったバンドが分厚いディストーションギターを鳴らしていたのに対して、彼らはシングルコイル特有のジャギジャギ感を前面に出したギターを響かせます(ライヴを見たところ、ヴォーカルのギターがそうした特徴的な音を出していました。もうひとりのギターの音は、ぶっちゃけショボかった)。ジャギジャギすぎて音程が特定できないほどです。
さらにIan Curtisを彷彿とさせる、バリトンヴォイスを激しく放出するヴォーカルも特徴的です。


「僕は知っている/君に与えられたものすべてが消え去るのを/肌の下に花を感じるはずさ/それを怯えさせない限りは/
自分自身を保つ/この長く神聖な光の中で/
自分自身を保つ」-Remember


 しかし、彼らはMinor ThreatともJoy Divisionとも違うソングライティングのセンスを磨いたようです。1曲を通して一定の激しいリズムを貫く初期ハードコアや、ミニマリズムを活かすJoy Divisionに対して、Iceageはリズムを変化させていくことを念頭に置いたソングライティングを見せます。そのライティングは転がすようにタムを叩きつける3連譜のリズムから直線的な8ビートに変わるRememberを聴けば明らかです。ちなみに、リズムが変わる瞬間に明らかにテンポが寄れるのは御愛嬌というか、これを面白いと思うかが好き・嫌いのわかれどころかもしれませんね。
その他の曲でも8ビートや高速2ビートを基調としながら、ハイハットの裏打ちや3連のリズムなどの多彩なリズムを、スネアやオープンハイハットを抜いた静の部分を混ぜることで無理なく1曲の中に取り込みます。


「僕の力/手を広げて/だけど感情は崩れ/反応できない
崩壊を築く/波打つ大地に叩きつける/街を襲う/ゴミだけが残る
手を掲げて/煉瓦を積み上げる/だけど感情は崩れ/反応できない
耐え忍んでいる 」-Collapse


 ギターが音程を特定できないところが多いということを先ほど述べましたが、彼らはドレミの音階の外側までメロディを探しているように思えます。それは半音ずつ下がっていく「Broken bone」のコーラス部分のコード進行に対してポップな歌を載せるところにも明らか。その結果、「White rune」「Rotten heights」のような不穏な曲にも、「Remember」「You're blessed」のようなポップな印象の曲にも引っかかるフックが生じます。
音階の外にもメロディを探していくゆえに、彼らの曲はリズム楽器とメロディ楽器の区別が曖昧です。その点は砂原義徳の『Liminal』において、音ともメロディとも取れないノイズ音を効果的に用いていることや、Death gripsが昨年のフリーアルバムで、ヒップホップ的低音以上に高音の倍音にまみれたエフェクト音で曲を覆ったこととリンクします。同時代の他地域他ジャンルの音楽と比較できることは彼らの根の強さを物語っているようです。


「彼女の大地を越えて/僕らは留まる/肉の赤いかがやき/僕を縛りつけろ
/僕らは溺れる/骨の髄まで/
腐った高みを引きずり落とす」-Rotten Heights


 ヴォーカルに深くリヴァーヴがかけられているのも特徴のひとつです。この残響の遠さは、ハードコアの共同体的でマッチョな性質からの距離を思わせます。しかし、ただ孤独に沈む類のものでもないようです。それは「New Brigade」の歌詞のように、決して交わらない平行線が交わった瞬間、隔離されたはずの孤独がぶつかる聖なる瞬間のために鳴らされています。それゆえか、2月8日の来日ライヴでは、激しくモッシュする人々と、一人でじっくり見る人々がどちらも浮くことなく存在していました。最後の曲のあと、ヴォーカルの少年は目の前の観客の目を見ながら笑顔で強く握手していました。
孤独が解消するあり得ない瞬間を欲望するからか、彼らの音楽にはロマンスの香りすら漂います。Jesus and mary chainやThe libertinesのように、彼らの音楽は荒々しさの中にある種フェミニンともいえるロマンティシズムを宿しています。内面を外の風景のように描写する歌詞に目を向けてみてほしい。彼らは孤立や荒涼の暴力を外に配置することで、ある種の共有を呼び掛けているようです。それは大勢でわかつことのない、親密でもしかしたら不器用な交流です。
なんというか、まるでこっそり大事なことを耳打ちしようとしてドデカい声を出してしまった男の子みたいな存在?とりあえず、前に進みたい少年たちは耳元でデカい音を聞かされたことに半ギレしながら、Iceageに合わせて意識を躍らせればいいのです。


「君が僕をずっと捕まえておくことができるなら/僕は家にはいないよ決して/
恐怖と唾液の海に漂っているけど/弱く、傷つき、ふさぎこんだままではいない」-You're blessed


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正気の探求 −Telebossa/『Telebossa』 01:06



 



 穏やかで、不安定に揺れるような印象のピアノの音が左右から交互に聞こえてくる。
Aと高いF#と低いGが、倍音を多く含んだ単音で間をあけて鳴らされている。しばらくピアノが繰り返されたあと、ギターとチェロと歌と、閉じた口を勢いよく広げた時のような「ンパッ」という効果音が鳴り、とぼけているのかシリアスなのかわからない顔つきで曲が進行を始める。Telebossaのアルバムの1曲目「Feltro no fermo(鉄の中のフェルト)」はこのように始まります。

Telebossaは二人のミュージシャンによるユニットです。ライナーノーツ、ホームページ(http://telebossa.com/)に拠れば、ブラジル出身、50代のシンガー・ギタリスト、シコ・メロとドイツ人のチェリストであるニコラス・ブスマンとの二人組。二人とも現代音楽やエレクトロニクス音楽に造詣が深く、それぞれが個別の活動で作った作品にはそうした音楽の色が強いとのこと。Telebossaのアルバムはシコ・メロのオリジナルが2曲、ブスマンのオリジナルが1曲、残りはブラジルの1930年代〜40年代の曲のカヴァーで構成されています。

シコ・メロの爪弾くギターは少しずつとても緩やかに、しかし確実にコードの色を変えてゆきます。穏やかな表情はいつのまにか不穏な雲に隠れ、そうかと思えば気付かぬうちに晴れ間が覗く。コードの中の一音、二音をずらすだけで安らぎから哀しみへ。そんなギターの上にブスマンの奏でるチェロの音が鮮やかな色を塗っていきます。ブスマンの演奏は時に明朗に流麗にメロディを鳴らし、時には掠れた音を鳴らすなどをして表現に幅を持たせています。そして、印象的な効果音がちりばめられます。雨の音や仏教風の鐘の音や動物の鳴き声のような音。不穏な爆発音。このような効果音は非常に気持ちよく、そちらにばかり耳が向かう瞬間があります。こうした快楽的な音を聴かせる目的で、曲という枠組みを作っているのではないかと考えてしまうほどに、

この穏やかさと不安感の間を、歓びと哀しみの間を行き来するような音楽は、どこか荒れ果てた土地で、大地を砕かれて居る場処をなくしたもののために鳴るように聞こえます。連想するのはガルシア・マルケスの『族長の秋』やマリオ・バルガス=リョサの『チボの饗宴』といったラテンアメリカ作家の独裁者小説。独裁体制の末に退廃に身を曝した国の荒涼。有無を言わせぬ暴力の風の中で突然に、居場所と大切なものの命を、当たり前のように存在した賭けがえのない現在と未来を奪われた人間の荒涼。その荒涼の引き金を引いた独裁者自身の精神における荒涼。そうした荒れ果てた景色に溶け込むように鳴らされる音楽として、Telebossaは最適であるかのように感じます。この音楽には静けさが漂っていますが、その静けさは激しさを想起させる静けさなのです。

この音楽には作り手の故郷である、ブラジルとドイツの匂いを漂わせていると同時に、仏教的な匂いも感じさせます。アルバムの所々で聞こえるピアノや鐘の音はどこかジョン・ケージのプリペイド・ピアノによる音楽の打楽器的響きを思い起こさせます。ケージの対話本「ジョン・ケージ 小鳥たちのために」のなかで、ケージはブディズムの影響について語りますが、そこで語られる世界観は「世界は常に変わり続ける、そのことは変わらない」というもの。世界は「在る」のではなく「成る」。常に変化し続ける世界。テレボッサの少しずつ変化していくという曲構造はケージが語る仏教の世界観と重なっているように映ります。なにより『Telebossa』6曲目のタイトルは「Samba do Budista(仏教徒のサンバ)」です。

Telebossa』の前半は15/8拍子の曲や、4/4ではあるけれど8小節ではなく7小節で一区切りになる曲など複雑なリズム構造の曲が続きます。しかし、インストの「Der Falsche Raum」を挟み、後半に2曲、「Samba do Budista」と「Amoroso」は拍の取りやすい4/4拍子です。シンプルなビートに変わると同時に曲のカラーはよりディープな哀しみを帯びてゆきます。リズムは複雑からシンプルに、テーマはディープな方向というアルバムの構造はTha Blue Herbのアルバム『Sell Our Soul』と重なります。そして『Sell Our Soul』の最後の曲のタイトル、「サイの角のようにただ独り歩め」はブッダの言葉からの引用です。世界の流動性から「ただ独り歩んでいく」絶対的な孤独を認識することへ。『Telebossa』の底で響く低音はこのような変化を遂げています。

ここまで読んで、もしかしたら重たい作品のように感じるかもしれません。とはいえこのアルバムはリラックスして聴くことができます。優しさや呑気ささえ感じるかもしれません。ただ、あなたが深いところまで潜っていけば、そこには優れたBGMとしての顔以外にあらゆる発見があるのだと思います。そうした深みを持ちながらも、この作品は呑気な顔を忘れてはいない。もしかしたらこのアルバムは、簡単に受け入れることが困難な不条理のなかにいても穏やかさを保ち続けるために役立つアルバムなのかもしれません。

 

 

 
 

 

 

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andymoriについて 02:16


  ぼくらはandymoriに何を期待するのかーそのような問いから文を始めてみたいと思います。
彼らに、彼らの音楽に何の「期を待つ」というのでしょうか。

 結論からいえば、こうなるでしょう。
「ぼくらはandymoriになにも期待していない」と。さらに言えば「なにも期待してはいけない」と。

 小山田宗平という人はいつでも、自らが届ける音楽を他人との距離ではかりながらとらえたりはしませんでした。今でもそうだと思います。ただただ、自分が表現して、自分が世に出したいものを作る。そうした態度を貫ける稀有な人だと感じます。
ぼくは彼らのライヴを去年の秋に一度観たことがあります。
ぼくの心に今でも残っているのはライヴの内容以上に、coca-colaと書かれたぴちぴちのTシャツをさも当たり前に着る小山田宗平の佇まいでした。
普通ではありえないファッション、でも彼の中では普通。そして誰もそれに文句を言えない。文句を言われても彼には関係ない、彼には必然があるから。アルバムのタイトルが「革命」だと聞いた時も、同じようにありえないけど彼には普通のことなんだろうな、と思いました。ただ、彼は自分の表現したいことをただ表現してしまう人間なんだな、と感じました。

 他人が求めるものを想像しながら作るのではなく、自分が伝えたいと思ったものを素直に綴った歌詞。「革命」の歌詞について、小山田宗平はそのようにインタビュー(「MUSICA」にて)で語っています。
たしかにストレートな表現が増えました。
「バンドを組んでいるんだ。すごくいいバンドなんだ。みんなに聴いてほしいんだ。バンドを組んでいるんだ。」(「ユートピア」)
「大好きなCDをかけてあのころに帰ろう。まだ恐れも知らなかった、無邪気なあのころに。恋人よ、あなたを愛さない日はない。明日も100年後も、好きだよ好きだよ。」(「Peace」)

 引用したらキリがない。誤読の仕様もない、言葉。言葉。伝わらないことを避けるような、わかりやすい言葉。かつてのシュールさを捨てた言葉。

 しかし、本当に誤読の仕様もないのか。わかりやすい言葉なのか。
結局のところ、シュールに見えた最初のandymoriの頃から、何も変わってないのではないでしょうか。

 まるでギターの教則本の1ページ目に出てきそうな、ロックやフォークの基本的なコードに乗った歌。コードが単純な分、くねくねと動き這いまわるベース、時にスピード感を変化させながら(たとえば「革命」のイントロ、「Weapon of mass distruction」のブリッジ部分)リズムを刻むドラム。ギターはひずみながらも決してコード感を失わない。おそらくはロックンロールと同じくらいカントリーやフォークを愛好するであろう彼らのメロディ指向。ときに3のリズムを混ぜながら(「Peace」のギターフレーズ、「投げKISSをあげるよ」のイントロ)4のリズムの中で続く歌。歌うドラマーから刻むドラマーに変化したこと以外、音楽的要素は初期から変わってはいません。
同じように変わらないものが言葉にも見受けられるはずです。一枚目から「ハッピーエンド」の歌詞を観てみます。

「夕暮れの井の頭公園でコーラの空き缶蹴っ飛ばして、もう駄目かもしれないとこぼした君の横顔すごくきれいで。
それはハッピーエンドなんだ。ハッピーエンドなのさ。どうせどこにもいけないのならずっとここにいてもいいんだよ。」

 ここに見えたのは深みの限りをしらない慈しみと、虚無と怒りのアイロニー、そのふたつの顔ではないでしょうか。どちらにも固定できない、両義性がここには見られます。「ずっとここにいていい」と「ぼくはここにはいないけど」が永久に反復されるような、そんな歌。小山田宗平の歌声から伝わるもの、それは愛情と無関心の間に決着がつかない、という永久的な矛盾であるように思います。

 そして今作。曲をまたいで歌詞を観てみれば、やはり簡単には理解できないメッセージがあるように感じます。
恋人に好きだよと歌いながら、他の曲では君みたいなきれいな人形がほしいというわがままを発する。
みんなに聞いてほしいんだと歌いながら、他の曲では一瞬の夢に出会えるのは30分だけと諦めを発する。(ちなみに対バン形式のライヴ、だいたいのバンドが経験するライヴの時間は30分)

 ストレートに見えた言葉。しかし通してアルバムの声に耳を向ければ、そこにあるのはやはり両義性でした。声の響きだって変わってはいません。ポップと形容できそうなメロディは、どこまでもポップにはならない響きを連れてきます。「本当の心」と歌うときに、声をしゃがれさせながら叫ぶ切実さを含まなくてはいけないのです。青い空を謳歌するような、気楽そうなカントリーナンバー「Sunrise & sunset」の中で「嘘つきは死なない、争いは止まない、欲しいものは尽きない、悲しみは消えない」と繰り返さなくてはいけないのです。「スーパーマンになりたい」という無邪気な欲望がここでは悲しみと繋がれています。

 つまり、今作でも彼らの見る風景は愛情と無関心が混ざってしまう世界の風景です。それは夜のようなものです。彼らの歌はいつだって夜における戦いです。絶対に光の通らない、愛情と無関心の区別がつかない真っ暗な夜における戦いです。時に青い空の途方もなさに呆然としながらも、夜から逃れることはできないのです。ブラックホールの向こう側にどうすれば、投げKISSが届くだろうか、せめて投げKISSだけでも届けることはできないだろうか。「夜がやってきて、君も僕もはなればなれ。」そんなぼくらにまったく通路はないのだろうか。そんなことを探り続ける戦い。雲が大量破壊兵器を連れて東へ東へ流れるとしても、ぼくらは南へ南へ向かうことができないだろうかと試す戦い。神様に会いに行くように、リズムを刻みながら空を行くこと。祈りを込めて歌うこと。彼らの祈りは戦いです。無責任に願うこととはわけが違います。

 さて、そんなわけでぼくらはかれらandymoriに何を期待するのでしょうか。何の「期を待つ」のでしょうか。戦いはすでに始まっています。ブラックホールを越えて伝わろうとする、そんな「革命」を起こすための戦いはとっくのとうに始まっています。彼らが「Follow Me」と歌ったころから始っていたことではないでしょうか。2年前に「ついてこい」と言われてるのにもかかわらず、なにを待っているのか。いまさらなにを無責任に願うというのか。
 ぼくらにできるのは、ぼくらがぼくらなりに戦うこと以外にないように思われます。彼らの歌がいつでも彼らの戦いであることと同じように、ぼくらはぼくらの夜の中で戦うこと以外にはないのではないでしょうか。結局のところ、andymoriの歌に力があるとすれば、戦いに寄り添うことと戦いの後で生まれるものを想像させること、それだけだと思います。代わりに戦ったりはしてくれません。武器にも薬にもなりません。ただそこにあって、イマジネーションを掻き立てる、それだけのために存在する歌。ぼくはそのためだけのちっぽけな歌を愛おしく感じています。それが音楽における最良のものではないだろうかとも、思ったりもします。
 なにも期待したりせずに、すべてを諦めた後で、まだまだ続く日々を生きること。そんな日々を続けるためのイマジネーション。空洞を覗く目と、祈る手と、祈る声とともに。






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Benjamin Gilbertの、そしてぼくらの「ささやかだけれど役にたつこと」 Death Cab for Cutie 「Code and Keys」 12:43
 
 
 Death Cab for Cutieは一介のインディバンドから全米一位のバンドへと活動の中で知名度を広げていきました。その全米一位となった前作『Narrow Stairs』から3年、新作『Codes and Keys』がぼくらのもとに届きました。

 全米で広く知られるバンドになることは、音楽的にも影響を与えます。
『Narrow Stairs』は、それまでアメリカのバンドの中でもイギリスの音楽、ニューウェーブやブリッドポップ期の音楽の香りを感じさせていたデスキャブが、ぐっと広大な大地を思わせるアメリカンロックへと近づいた作品でした。音も大きなライヴ会場が似合う音づくりになっていました。そこにはビッグなアメリカンバンドとしての期待がのしかかってたように感じます。
 完成度の高い作品ではあるものの、窮屈な、「narrow」な印象を受けてしまったのも事実です。

 今回のアルバムで、前作の方向性からどこへ向かっていくのか、気になっていました。
 聴いてみると、一曲目はかつてのpotal serviceを思い起こさせる打ち込みの音。そこに加わる少し不穏なコード進行。そのあとにはオーケストラを活用した古き良きアメリカンミュージック(二曲目)やAnimal Collectiveのようなリズムのポップ(三曲目)、Fleet Foxesを思い出させるフォーク(八曲目)などが並びます。勘のよい方は気づくかも知れませんですが、今回のアルバムはここ二,三年のアメリカのインディミュージックを踏まえた曲が多いのです。オーケストラルなアメリカンミュージックはSufjan Stevensが作った音楽とリンクしますし、Postal Service的な打ち込みも自己言及に見えてPassion Pitなどのポスタルフォロワーからの逆影響を感じさせます。
 他のバンドからの参照点が顔を見せたのは、結果的に成功だったように感じます。アンテナの張り方が上手く、受信した情報の扱いにも長ける彼らは他の音楽からの影響を自らの音楽の活性化へとつなげました。「デスキャブといったらこういう音楽」というリスナーのイメージの縛りから自由を取り戻したような爽やかさが、『Codes and Keys』には流れています。まるで、狭い場所から抜け出すための「暗号と鍵」を手に入れたかのように。

 それでいて、彼らはデスキャブのイメージを裏切っていません。デスキャブ印と言えるような特徴は消えていないのです。それはBenjamin Gilbertの声やメロディの癖やドラム・ベースのリズム隊を中心としたパワフルかつ安定した演奏に裏付けされているのでしょう(animal collective風だといった三曲目「some boys」のドラムのカッコよさたるや・・・!)。全曲にわたってポップミュージックとして最低限の展開しか与えていないこと(今回のアルバム曲はすべて、コード進行のパターンを2つに絞って構成されています)などもデスキャブの曲の特徴でしょう。Raymond CarverやScott Fitzgerald、村上春樹を思い出させる歌詞の世界も大きな個性です。

 やはり歌詞に触れたくなるのは一曲目の歌詞です。なんといってもこの曲の歌詞は大地震についての歌なのですから。引用してみます。

「プレートは移動し、家は揺れて、壁は流れていく。
昨日とまったく同じものなどないということに気づくためだけに、ぼくらは目を覚ますだろう」

 卑近に感じるかもしれませんが、この歌詞に心を動かされないわけにはいきませんでした。日本の地震が起こる前に書かれた曲だけに余計です。
 Raymond Carvarの作品をもじれば、Benjamin Gilbertの歌詞はいつだって悲痛な状況、ネガティヴな状況から「ささやかだけれど、役にたつこと」を見つけるものだった気がします。そうした歌詞がいまのぼくらに響くのは少し悲しいと思いつつ、当然だと認めなくてはいけないのでしょう。
 アメリカ社会の頂点に位置してきたキリスト教を弱き存在として定義しなおす歌詞も『Codes and Keys』では目立ちます。たとえば「僕らが向かったのは嘘で築かれたような場所だった。聖書のように神聖で、疑問をはさむ気も起きなかった(Potable Television)」や「聖ペテロ大聖堂は花崗岩でできているけど、いつも答えを恐れていた(St.Peter's Cathedral) 」など。
 かつて「What Sarah Said」という曲で「愛とは誰かが死ぬのを見届けること」という定義を作ったことでもわかるとおり、Benjamin Gilbertの歌詞は死についての考察を含んでいます。そして、アメリカ人の死生観へ多大な影響を与えるキリスト教との向き合いかたというテーマも作品ごとに強くなっている気がします。これもアメリカを代表するバンドになったことの影響かもしれません。

重厚なテーマを持ちながら、最後の「Stay Young,Go Dancing」で音楽の素晴らしさについて歌うのは、あまりにも出来すぎだと思いながらも、目から塩っからい液体がこぼれそうになるのを禁じえません。最後にこの曲の歌詞をすべて引用して、終わりにします。

「獣のおなかの中なら、人生は甘い。人生は甘い。
君の心の中の彼女の歌は、君を決して落ち込ましたりしない。落ち込ませたりしない。
雨の中で1000日間さまよい続けても、彼女の歌が聞こえたら終わりへとたどり着ける。終わりへとたどり着ける。

だって彼女が歌っているのを聴いてたら、シンフォニーが聞こえるんだ。
ぼくはその音が響くままに飲み込まれていく。
その時どれだけ生きていることを感じて、心を動かされただろう。
秋が過ぎてもぼくらは若いままで、踊りに出かける。

音楽が始まったら体の感覚なんて飛んでってしまえばいい。
音楽の中で一つになっているとき、ぼくらはいつだって若い
(さぁ、踊ろう)

彼女が歌っているのを聴いてたら、シンフォニーが聞こえるんだ。
ぼくはその音が響くままに飲み込まれていく。
その時どれだけ生きていることを感じて、心を動かされただろう。
冬が過ぎてもぼくらは若いままで、踊りに出かける。」



 
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YUCKについて 09:55
 

「ぼくたちは落ち着きがないことを気にもかけず、セメントを注がれた千の罪の国に引き寄せられるのを感じている。嘆きと確信の中で。」 -The Smashing Pumpkins/1979-

 YUCKのアルバムについて言葉を添えようとするとき、なによりまずMax Bloomのギターのチョーキング(左手の指で弦を引っ張って音程を揺らす行為)の素敵さについて触れなければならないでしょう。彼の作る音の微妙な揺れ方は、YUCKの音楽に内在する10代の心象風景のようなものを強烈に体現しているように思うからです。プレーヤーを再生してすぐに流れる「Get Away」のイントロだけでもそれは確認できます。イントロ一発に心を持ってかれたぼくのような人間もいることだし・・・

 このアルバムにはポップながらもメジャーセブンスコードを使って淡い感情を表現するコード進行があります。ざらついた倍音を持つひしゃげたギターの音があります。Maxのプレイ以外にも、ギターの魅力が前面に出ているのです。しかもそれが難しいプレイじゃなく、初心者でもすぐにチャレンジできるようなプレイだからますます素敵です。
 ぼくはこのアルバムを聴いて、高校生にもどってこのアルバムの曲をバンドでやってみたいと思いました。このアルバムはそういう魅力に満ち溢れているのです。

 90年代初頭のインディロックーたとえばDinasour.JR,Pavement,Teenage Funclub,Yo la tengoーからの影響をまったく隠さないこのバンドは、それと同時に他のバンドたちから超越したところに存在しているように感じます。濁りのない非常に透明な存在。そうした意味で、YUCKの音楽からはスーパーカーの『スリーアウトチェンジ』というアルバムを想起します。
 『スリーアウトチェンジ』もJesus and Mary Chainを筆頭に他のバンドからの影響を隠さなかったにもかかわらず、超越した世界を持った、オリジナルな魅力を放つ作品でした。この2作品の透明さには、胸のうずきや心の揺らぎをありのままに受け入れたままで、それでも素敵な物語を描こうとしている人間の心を軽くしてくれる。そんな作用がある気がします。それゆえに、この2作品は胸のうずきや心の揺らぎに満ちた10代の人々の心に強く響くのでしょう。Billy Corganが「1979」の中で描いた、「千の罪の国に引き寄せられる」10代の心に。

一人で孤独のままいることも、大勢の仲間と共に過ごすことも、好きな人と二人でいる時間を願うことも、すべてがあり得ないくらいに大きな意味を抱えているーそんな10代という時代に寄り添うサウンドトラックとして、そして10代のときの感覚を否定することなく生活を続ける20代以上の人々のためのBGMとして、YUCKのファーストアルバムは(『スリーアウトチェンジ』と同じように)聴かれ続けてほしいと願います。



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夢の反動 01:34
 bertoiaのアルバム『modern synthesis』はどの時間帯、どの気候にも合うのでよく聴いてしまいます。いろんなシチュエーションで聴けるっていいですよね。

このアルバムの特徴はいわゆるシューゲイザー的なサウンドを基調にして、「夢から目覚めたあと」を表現していることにあると思います。だからか、あまり逃避音楽としての狭さは感じません。

歌詞には「目覚めたら〜」「〜(未来、明日)を恐れる」という表現が多く含まれます。
夢から覚めて、現実と呼ばれる近未来に対峙しなくてはならなくなった状態。bertoiaの音楽はそのような瞬間の歌です。
「夢見がち」「ドリームポップ」などと評されることの多いシューゲイジングサウンドに合わせて「覚めた感じ」を表現するバンドは珍しいのではないでしょうか。シューゲイザーバンドは歌詞を載せないないことが多いですが、それは夢が言葉を論理化しない世界だということと関係しているかもしれません。
bertoiaは歌詞を載せていることから、少なからずその他のバンドとの差別化の主張があるのだと思います。

素敵なのは苦境についての歌が多い(そればかりではないですが)のに曲調はポップに前を向いているところ、また少し茶目っけを含んだ印象を与ることです。
このアルバムの曲の特徴として最初が1度のコードで2つ目のコードが6度の半音上、7度の半音下のコードを使っていることが多いところがあげられます(2,3曲目がそうだったと思います)。
この6度の半音上、7度の半音下のコードというのはドレミファソラシドの音階にとっては不協和音になるいのですが、どこかすっとぼけてるような感じがします。
こういうコード使いはbertoiaの表現の核に似合う気がします。

彼らのサウンドの心地よさについて。
音同士を混ぜ合わせるのも特徴的です。生ドラムと打ち込みが溶けあい、ギター同士が溶けあい、強い主張を避けます。ベースラインが動きますがそれも派手ではありません。むしろベースが単調な場合が多いシューゲイザーバンドの中で動くベースラインは曲を活かすオリジナルな魅力になっています。ベースの方がメインの作曲者なのが大きいのでしょう。
かれらのすべての楽器が曲に対して平等な力関係を持って溶けあっているところはThe Nationalの音楽と共通しているように思います。

サウンド的に、楽曲的に取り立てて新しいことをやっているとは思いません。にもかかわらずここからどのような音楽を届けてくれるのか楽しみになる。この不思議をどう考えたらいいのか。今はそれについて楽しく悩んでいます。

http://www.youtube.com/watch?v=PhyHuuIYxX8&feature=related


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反復とドラマ 14:25
 久しぶりの更新です。

最近夜中に起きたりすると、ほぼ間違いなくcureの『faith』というアルバムを聴いています。
今から30年前に出たアルバムです。

cureはパンクの後に出てきたいわゆるポストパンクのバンドとして世に現れました。
パンクバンド、およびポストパンクバンドのほとんどが影響を与えられているといわれるミュージシャンがいてそれはデヴィッド・ボウイなのですが、キュアーもボウイの大ファンだったようです。
ボウイは70年代初頭から文学性・物語性を伴う表現を展開してきたように思われます。
かの有名なジギー・スターダストが代表的ですが、ドラマティックな表現を志すにあたりボウイはコード進行や曲展開を変化の富んだものにしていきます。

同じ70年代初頭には3つの重要なリズム・モデルが登場したといわれていて、それはジェームス・ブラウンのファンク、フェラ・クティのアフロビート、加えてノイ!のハンマービートです。
これら3組のミュージシャンたちが演奏し、録音したリズムに共通する特徴、それは反復です。
同じリズムを繰り返すことにより、高揚感を得られることを実践していたのがこの人々で、北米、アフリカ、ヨーロッパと別の地域で、同じように反復を特徴とした音楽が力をつけてきていました。
この反復の高揚感が今グルーヴと呼ばれているものと同義である気がします。

cureの『faith』というアルバムはリズム・パターンが曲を通して一定です。コード進行も2パターン以上はありません。演奏はJBやフェラのバンドと比べなくても上手ではありません。それでもcureの音楽には反復の魅力があります。グルーヴがあります。JBのように強靭ではなくても。

cureのメンバーがJBやフェラ、あるいはノイ!を聴いていたのかはわかりません。しかし、かれらは反復を特徴とした音楽を選びました。変化に富んだボウイの音楽を愛でていたにも関わらず。

総合して『faith』に際立つcureの音楽の特徴は、ボウイ的なドラマティックな表現に反復性、ミニマリズムをぶつけたことにあると思います。

右手に聖書、左手にエドガー・アラン・ポーを持って歌っているようなロバート・スミスの歌は孤独、無力さ、死を想起させながら人間のドラマをとらえていきます。
「きみに触れたまさにその瞬間に、物語は終わりへと突き進む、あまりに早く」「沈黙の中で大地に口づけている」「なにもない、ただ信仰だけが残る」
こうした彼の言葉を表現するために反復のリズムとリヴァーヴのかかった音の冷たい印象は最適だったように思われます。
ドラマとミニマルの出会いは後の音楽に与えた影響は考えられている以上に大きい気がします。

とりあえず、深夜のサウンド・トラックに最適。

http://www.youtube.com/watch?v=Y3J31RoqTAI
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